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性なるスピリチュアル♪ 闇に光を☆

子育て中。クリスタルチルドレン(?)善悪二元論からの脱却や中庸を目指して。沖縄在住。Twitter @spilun9

神示含め、あえての分かりにくさ、生きにくさ というギフト?

今はやりのリアル脱出ゲームで、5分もかからずにゴールしてしまったら、おそらくみんな運営側にもんくを言い、二度とやらないでしょう。

途中で絶望的な難関がある、様々なトラップやイベントを通して一緒に入った人と喜怒哀楽を共にできるから楽しいはずです。

実際には、入る時間と出る時間、同じ人もいれば違う人もいる。

途中で違う道を選んだり、たまたま出会った他の人と行くこともある。

高次元の方々は中の人の様子を見ながら、頃合いを図りイベントを仕掛ける。

猛獣さえもしかけるけど、ちゃんと警告も暗示しておく。

高次元の方々はどうしようもない時には仕方なく手を出すけど、基本的にそれはタブー。

今通らないでほしい道はできるだけ避けさせるが、さすがに自由意思には逆らえない。

でもどうしようもなく取り返しのつかない方向へ歩き続けた時は、高次元もきっと悩む。

どうにか道を修正させようとできることはやる。

上の許可が下りたり、ルールぎりぎりのやり方で最小限の手を出せるが、救いきれるかは絶対的ではない。

断腸の想いであえて通らせる事もある。

じゃあ私たちはただ高次元や創造主のシナリオ次第なのか。。。

いやそんな事はない。

自由意思で、未来は大いに選べる。

究極の道が見えてきたとしても、「それはいやだ」、「お断りだ」、「キャンセル」、もう最中なら「自分はこうやって早く乗り切るんだ」という自由意思の力を大いに発揮することで、運営側もそうせざるを得なくなる。

ある意味私たちは「お客様」なのだ。

お店の人よりもお客様の要望が優先される。

どうしてもどうしても必要な体験なら

「夢でさせてください。その夢をばかにせず、夢から学ぶべき事をしっかり考えますから」

もしかしたらそれもいいかもしれない。

むしろ裏方の方も、「そう願ってくれ」と思ってるかもしれない。

少し話は変わります。

教科書でさえ、神示でさえ、分かりにくいところや矛盾していることってありますよね。

人によって微妙に違ってたり。

これ、創造主や高次元からの「あえて」ではないでしょうか。

もちろん人間が意図的にエゴな目的でやる場合もあるでしょう。

しかしそれさえ、あえて容認する。むしろ計算の範囲内。

あえて一人の人や本、ブログなどからは、すべての悟りは得られないようになっているのではないでしょうか。

生身の人間に完璧な人はいない。どんなにいいことを言っていても、少しは間違いや勘違いがある。

本人に悪気がなくても。

あえて人間をそういう風に造った。

すると必然的に、いろんな人や本と触れ合うことになる。そして振り回される。けどそれを繰り返すうちに少しずつ真実や大切なことに気づいていく。

ゲーム。

その過程を楽しむ。

一人では解けないようにした。一人ではめちゃくちゃ苦労するようにした。

分かりにくいからこそ、分かったときがめちゃくちゃ嬉しいし楽しい。

誰かと解くから楽しい。

でもたまには一人の時間も必要なようにした。

人といる楽しさをより味わえるように。

でも一つ解けた頃、次なる課題が用意される。

今の自分にぴったりな。

辛いと感じても、心の奥底では楽しむ。

そんなゆとりがあるといいかもしれない。

人生のトータルでは、喜怒哀楽がバランスよく訪れるようになっている。

そうじゃないかな。