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性なるスピリチュアル♪ 闇に光を☆

子育て中。クリスタルチルドレン(?)善悪二元論からの脱却や中庸を目指して。沖縄在住。Twitter @spilun9

女性はショートケーキ 男の性欲

男性からみた女性は、まるでショートケーキのように感じられると思います。

とてもとても魅力的なショートケーキがいっぱいあるのに、許された一つ以外、一生涯食べる事もクリームに触れることもはできない。。。

食べたら社会から抹消される。

多くの人が地元の良さになかなか気付かないように、ショートケーキ自身も自分の魅力には自覚も自信もあまりない。

どんなに褒められても。

街では毎日たくさんの色や形のおしゃれなショートケーキとすれ違う。とてもいい匂い、カラフル。あのふわふわなクリームさわってみたい(≧ー≦)

会社の帰りにはこっそり別のショートケーキを食べさせてくれるお店がある。

昼真面目に働く同僚や先輩、まじめだと思ってた同級生や親友からも誘われる。

「なんだ、意外とみんな通ってるじゃないか」

人生一度はいってみたい。他のケーキはどんな味だろう。

酔った勢い、何かを言い訳にクリームに触れたり食べたりしてみたい。

こんな思いが老いるまで毎日続く。

当初こそ他は食べないと固く決意する。それもウソではない。

ただ、ネット見ててもテレビ見てても会社でもお店でも、キレイなショートケーキがいっぱいうつる。

決して、別のショートケーキと暮らしたいわけではなく、ただ食べてみたい。

けどショートケーキさんは食べられるのは通過点で、一緒に暮らすのが本命だったりする。それでこじれる。

食べられるだけが本命のショートケーキさんもまれにいるみたいだけど。

今の常識や法律がある限り、決して禁断のショートケーキを食べることを賛成はできない。

けど、食べた人への社会による数百万人からの厳しい圧力は、本当に1人の人にそこまで必要だろうか。

これには恐怖による「見せしめ」的要素も強く感じる。

禁断のショートケーキに限らず、

禁断の刺激物、禁断のお金、禁断の業界、夜の業界、禁断の行為、気の緩み

へもとても厳しく、これまで多くが自ら世を去ってきた。

また、抜け出したくても命の電話ですら相談できない。

相談員や、紹介された施設の人に理解されないどころか、陰で非難されそう。

この「悪を許さない、淘汰する」という厳しい感情が、きっと戦争や軍事力の容認へも繋がる。

自分もまさにそうだった。

本当に1人の人間を数百万人で責め、精神的に社会的に追い込む必要があるのだろうか。

恐怖で人を抑えようとする行為そのものではないだろうか。

デススターだと感じる。

デススターにも料理人や家族など、多くの一般市民が移住していたと思う。

でもきっと多くの住民は、そこにそのような兵器がある事にそこまで関心がない。

すべての人間には108の煩悩、弱みが一生涯発生し続けるからこそ、どんなに有名な人でも誘惑に負ける事もあるかもしれない。

むしろ有名な人、地位のある人、偉いと言われる人ほど誰よりもたくさんの我慢をしている。

特に政治家や権力者ともなれば、会見直前に薬を混ぜられて言動をおかしくさせられる事もある。

私達は表面的な真相や、疑惑の真偽を追う事を楽しんではいないだろうか。

ドラマや推理小説のような感覚で。

自分にもそういう面があったし、今でもゼロにできているかは分からない。

けど、追い詰められているその本人の苦しい心境、その子供や家族の心境を考えると、今は例え自分に合わない政党の人でも辛い。

仮に疑惑が本当だったとして、それでも様々な背景や圧力が起因していたりする。その誘惑や圧力に負けてしまった人に、恐怖ではなく、心から因果を紐解き、例え厳しく接するにも相手の状態を見ながらであるべきではないだろうか。

昼夜マスコミに追われたら、もんくの一つや二つ言いたくなるのが自然。

むしろマスコミの方はあえてそれを狙っているのかもしれない。

悪に見える存在や組織でさえ、高次元からは許された存在。

そして私たちも遠い過去世では同じような事をきっと平気でしてきたに違いない。

だからいったん記憶をリセットしている。

今の地球人類の大きなテーマの一つは善悪二元論からの脱却のはず。

きっとアセッションしたら、闇と思われる業界も夜の業界も、他人の自由意志を尊重する要素を加えた上で、自由にオープンに存在して、そこで働くも辞めるも普通になっていると思う。

こんな事ブログで書いていいのかなf^_^;

(以下は再掲載です。)

【参考】お金のいらない国2 ~結婚って?家族って?~

500年後のお金のいらない国という、一つの提案動画です。

生まれた時から「結婚」、「戸籍」、「家族」という概念がない社会。

どうなっていると思いますか?

以下は、善悪二元論からの脱却がテーマに感じる曲の一つです。

世界の終わり/天使と悪魔

SEKAI NO OWARIの曲は基本的に善悪二元論からの脱却がテーマだと感じます。

自分たちからは極悪に見える存在とて、高次の存在から役割を与えられた存在、存在を許された存在。

彼らなりの学びをしている存在。

それを私たちが淘汰しようとすることで初めて争いや対立が生まれる。

今自分と合わない存在や価値観とは、それぞれに必要な距離をとるまで。

いつかはその価値観を学ぶ時がくるかもわからない。

自分もいつ真逆の価値観に変わるかわからない。

誰の価値観がいつ変化しようとも不思議ではない。